スポーツニュースサイトの記事、第3弾

相変わらず翻訳機頼みなので、変なところもありますが・・・
今回も長~い文で、読みごたえあります!
(SPORTS WORLDの記事原文はこちらからどうぞ)

[SS501集中探求その3] 誕生秘話そして希望

去年6月歌謡界に彗星のように現われて‘警告’‘Snow Prince’‘Fighter’をヒットさせた SS501の波乱万丈デビューストーリーを鮮やかな声で聞いて見た。
またこれらを企画し、掘り出した所属社DSP enterのキム・キヨン室長とともに SS501を照明して見た。
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キム・ヒョンジュン(マンネ) 
愛国歌で歌テスト… トレーニングだけ 5年かかって

d0071508_21211100.jpgメンバーの中で一番先に DSPに来た。中2の時、趣も分からないままDSP キム・キヨン室長を尋ねた。実際に歌を歌おうと思ったら、分かる歌がなかった。愛国歌を歌って見なさいという室長の言葉に力の限り歌った。あまり唐慌されて顔が火照った。結局、室長は “明日から出て”と言ったし、以後トレーニングだけ 5年がかかった。変声期のため、本格的な演習もできないで流れた時間は2年だ。

高等学校進路を決めなければならないのに、前が漠漠だった。彷徨期に入って歌演習をさぼって映画を見に行き酷い目に会ったりした。まだ放送されている私の姿を見ると不思議だ。たまに昔に一緒に練習した兄さんたちに会うと気持ちが変だ。どんなに見れば私の与件が好きなようで安心する。私の目標は ‘トップ’になることだ。まず作曲の勉強を熱心にして、次のアルバムには作曲家として活躍したい。ブラック・ミュージックを来世のソロ活動も大丈夫のようだ。


パク・ジョンミン
中2の時から雑誌モデル… 映画出演の提案に揺れたことも

d0071508_21215133.jpg芸能人になりたくて熱心に調べた結果、中2の時から雑誌モデルとして活動ができた。演技の学校にも登録したし、いくつかの広告にサブモデルでも出演した。中3の時は 1年間 MTV ‘プレスィ’というプログラムを進行したりした。以後、芸能界で仕事をしたいという考えがより強くなった。自分を押してくれることができるマネージメント社を捜し回った。そうして短大部で先輩であるキム・キヨン室長に出会い、DSPに所属することとなった。

演技をするか、歌手になるか悩んでいたところ、ちょうど映画出演の話が一つ入ってきた。 それも主演だった。成就することができない愛に陷った高校生の役で、正直、大きく搖れた。当時メンバーたちが演技をしなさいと言ったが、所属社は強硬だった。SS501にいても演技ができるということで、DSPの自信感に魅かれて映画をあきらめた。後でその映画が封切られたが、成績は良くなかった。(笑)


キム・ヒョンジュン(リーダー)
元々の夢はベーシスト… 初ファンミーティングで深い感動

d0071508_21224857.jpg元々夢はベーシストだった。中3の時から高1までバンドでベーシストとして活動したし、偶然なきっかけでDSPに来ることになった。実際、‘君がどうしてアイドル歌手をするのか’と言う質問もたくさん受けた。私やっぱりもアイドル歌手がタムタックジはなかった。しかし、ただ音楽ばかりしていてはお腹がすいてしまうから、一応アイドルグループから始めても良いと思った。(笑) SS501に入ったのを本当に良かったなと感じたのは、初ファンミーティングの時だった。

デビューして3ヶ月ぶりに、ファンが約1万名が集まった。最初の計画は延世大大講堂で行う予定だったが、申し込みがあまりにも殺到して、場所をオリンピック公園へ移さなければならなかった。ファンがいっぱい集まったのを見て、あまりに感動して ‘絶対失望させないぞ’と誓った。 初めてでぎこちなかった踊りも、とても上手くなった。いつか私が好きな音楽を再びやることもできる。その日のために、今まで稼いだお金で買いたい楽器をすべて買った。お金が儲ける事ができないほうではないようだ。(笑)


キム・ギュジョン
アイドル歌手になりたくて… すぐに上京、大変な生活

d0071508_21231478.jpg小学校時からアイドル歌手になりたかった。HOTとジャックスキスの対決を見ながら ‘私もあんなのをして見たい’と漠然と思った。舞台の上で観客と呼吸して歓呼を導き出す姿が、とても羨ましかった。それで中学生でありながら故郷である全州を発って、ソウルに上って来た。反対した両親も結局応援してくれた。もちろんソウルでの生活は容易ではなかった。オーディションにはしきりに落ちたし、住んでいた所は電気もつかなくて、蝋燭をともして暮らした。

しかし、いざ大変だったのは SS501に合流してからだった。他のメンバーたちは長い間のトレーニングを通して相当な実力を積んで来たが、自分がとても遅れているような感じがした。私は ‘m!pick’ 撮影直前に、チームを去ると言った。あの時、メンバーたちが止めてくれなかったら私は今何をしているかわからない。(笑) 幸いにも宿泊問題はすぐ解決された。ヒョンジュン兄さんが自分の家にと言っていたが、ちょうどヨンセンが兄さんがグループに入って来て、一緒に暮らすようになった。ヨンセン兄さんは掃除や料理が上手で、たくさん学ぶことになった。私は大衆が楽に感じる歌手になりたい。いつか結婚をしても、ファンが来て祝ってくれたら良いだろう。


ホ・ヨンセン
演習が大変でひととき放棄も… 私だけの音楽作りたくて

d0071508_21233138.jpg幼い頃から、将来の希望が宇宙科学者、バスケットボール選手、歌手だった。そうして小学校 4年生の時、学校代表で長期自慢を出たが、観客呼応がとても良かった。以後、私は歌手準備にだけ邁進して来た。故郷は元々江原道だったが、引っ越しをよくした。高1の時は全羅道の方に暮したが、すぐに一人でソウルへ上京した。他の企画社に属して歌手準備を始めた。学校、演習室、家だけで過ごす生活だった。友達と遊びたいのに、時間が無いのでとても憂鬱だった。ベランダに出て呆然と空を見るのが習慣になった。訳もなく涙がたくさん出た。それで歌手をほとんどあきらめて、企画社から出た。

高3になってから、また我に返ってDSPのオーディションを受けた。幸運にもSS501の最後のメンバーとして合流した。メンバーたちは残り一人が空いて悩み苦しんでいたのか、私が入るととても喜んだ。ソテジにソテジだけの音楽があるように、ホ・ヨンセンだけの音楽を作りたい。R&B、モドンラック、ジャズ、クラシックまで熱心に聞いている。

リ・ヘリン記者 (rinny@sportsworldi.com)


●キム・キヨンマネージャーが言うキャスティングのビハインドストーリー
下絵が先に、そして当てはまるメンバーを捜して
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SS501のメンバー5人を集めることは容易い事ではなかった。所属社である DSP enterが、5人に対する’絵’を描いて、ここに当てはまるメンバーを捜す方法をとったからだ。

メンバーを選んで色を作るのではなく、はじめから SS501という ‘フレーム’に当てはまるメンバーを捜そうとした。すると5年という長い期間がかかった。

“SS501のメンバーになるためには努力と運が必要でした。家に行く道に会ったり、私の発露尋ねて来た場合もあるが、全国を8度を歩き回って最終メンバーを捜しました。こんな過程で、5年ぶりに最終的に選ばれたのが、現在のSS501 メンバーたちです。

先にキム・ヒョンジュン(マンネ)を抜擢した所属社は、彼を重点とし、年令や外貌を基準にしてメンバーたちを選んだ。しかし、この過程が簡単ではなかった。2番目のメンバー、パク・ジョンミンが入って来るまで幾多の候補たちが所属社に入って来たが、中途脱落したし、キム・ヒョンジュン(マンネ)は、一人だけで3年6ヵ月あまりの時間を過ごさなければならなかった。

しかし、パク・ジョンミンが入って来てからはキャスティングに速度がかかった。パク・ジョンミンの紹介で三番目メンバーキム・ヒョンジュン(リーダー)に繋がれたし、キム・ギュジョンはオーディションを通じて四番目に抜擢した。最後の門をたたいたホ・ヨンセンは、他の企画社にいたが DSPに入って来たケースだ。

“元々思い描いた絵の100%ではなかったが、一番近接するように選んだメンバーたちです。数百人を見たが、一番良いメンバーだったんです。 お上手でモッハゴを去って目標においてまじめに行くのが重要なことで、5人は集まってまじめな姿で良いチームワークを作りました。 まだ道のりは遠いが、チームの雰囲気が良いのが本当に気持ち良いです。”

李吉祥記者 (juna@sportsworldi.com)


[SW分析]●SS501の希望と課題
メンバーひとりひとりコンテンツ啓発
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DSPエンターテイメント(以下 DSP)は、SS501を実力のあるグループとして広報しなかった。 優れたボーカルを立てなかったし、数年の間の涙のトレーニングを強調しなかった。‘花美男アイドルグループ’という、ともすれば先入観を量産することができる修飾語にも平気だった。実力がなければそっぽを向かれる現在の韓国歌謡界では、確かに危うい戦略だった。 しかし、DSPはこれを敢然と選んだ。自信感があったから可能だった。

SS501の希望は大衆と一緒に成長させる戦略で成功したイ・ヒョリの前例で読める。幼い年令でフィンクルとしてデビューしたイ・ヒョリは、不足な点も多かったが大衆に親密に近付いてきちんと成長、ソロ歌手として成功をした。

DSPはSS501も完璧な状態でデビューさせるのではなく、早く大衆にお目見えした後、次第に優れた姿をアピールすることを戦略とした。以後、実力と魅力が絶頂に達した時大衆からインパクトある反応を引っ張り出すことができるという考えだ。

SS501の二番目希望は、5人メンバーたちの潜在力にある。5年の準備期間を通して誕生したSS501は、ちょうど1年を越した新人だ。彼らの持った能力は見せてくれたより見えることがもっと多いという話だ。メンバーたちの誠実と音楽関係者たちの肯定的な評価は、彼らが作って行く姿にもっと関心を持つようになる。

可能性を現実とするために解決しなければならない課題もある。DSPはSS501を6個の成功的なコンテンツで作るという構想を持っている。

グループが一つのコンテンツにとどまるのではなく、5人のメンバーが各々コンテンツになって、総6個のコンテンツを作るシナジー效果を狙っている。2007年中盤期から個別活動に入る SS501は、グループ活動と同時に個人の力量を強化するためにもっと絶え間ない努力をしなければならない。

リ・ヘリン記者


●アンチファンに対する立場
批判なしには長続きすることはできない

SS501はアンチファンを負担としない。 アンチファンを当たり前の現象で受け入れる。好きなファンがいれば嫌やがるアンチファンがいることが当たり前だという考えだ。

マネージャーキム・キヨン室長は “人が思う自分ばかりの方式があるので、思いきり好きな人さえいればそれは長続きすることができない。皆、一歌手に対して良く言えば結局潜在力を殺す事になる”とアンチペンに対して自然に受け入れた。

彼はまた “今日の熱烈なファンが、明日にはアンチになることがある。賛否に対する部分が同時になければならないので、一つさえあればむしろ100個の長所の中の50を出して、残り50は死んだまま行くことができる”とアンチの肯定的な部分を認めた。

デビューしてから1年が過ぎた新人グループにもかかわらず、アンチに対する SS501の成熟した考えはメンバーたちを音楽と舞台にだけ没頭させた。倦まず弛まず努力して質的に成熟した音楽で勝負すれば、いつかはアンチも自分を好きなファンになるというのが彼らの信念だ。

李吉祥記者
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by holy501 | 2006-07-21 21:16 | SS501  

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